聖なるコスメ、聖なる日常

美しくなるアイテム、コスメ。コスメから森羅万象をみつめます。

松居一代さんの悲しみと船越英一郎氏の男っぷり ~感情という水といかにつきあうか~

  すると、律法学者やパリサイ人たちが、姦淫(かんいん)をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げてよい」(『聖書 口語訳』(日本聖書協会ヨハネによる福音書 第八章三から七より抜粋)

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  不倫は不道徳。

 と相手を責める松居一代さんは、律法学者やパリサイ人と同じだ。これには全く共感できない。しかし、そこに彼女の本音が透けて見えるのがかわいらしく、つい応援したくなる。

 なりふりを構えないほど、船越氏のことが、好きで好きで仕方ない。 だから自分以外の女の人に手を触れるなんて許せない。「あなたが不在でもあなたを思っているのに。 あなたは、私がいない時にほかの女といたのね」そう思えば口惜しくて仕方ない。

 愛する人が不倫をした。 それが不道徳だからと嘆く女はいない。 好きな人が愛を向けてくれないから悲しいのだ。 悲しくて恨むか、悲しくて怒るか、悲しさに溺れてしまうか。  

 松居さんは、悲しみの感情を発奮材料として使い、孤軍奮闘中。

 感情を無視したり、抑え込んだりせず、渦巻く感情をエネルギーに変える松居さんのスタイルは、いまどきだ。 ぜひ感情の流れを上手に使いながら、歩んでほしい。

 「みっともない」「相手をも引き込む修羅の道」と一蹴するのは簡単だ。 だが、そう口にする人は、愛する人を吹っ切るために、ほかならぬ自分のために権利を主張し、テレビや雑誌を手玉にとる勇気はあるだろうか。 「いやそんなことをする必要を感じないから」とクールを決め込みながら感情をなおざりにするのではないだろうか。

 

 感情は水。 コントロールしようと臨めば、洪水に見舞われる。 さもなくば、枯渇を招き豊かな生態系を失う。失ってからの復活は難しい。いかに水を知り、距離を置くか。機を敏に見る知性とある種のユーモアが必要になる。

 

 男性からすると、松居さんの大荒れぶりは「いやいや他人事ではないな。 大変だ」となるのだろう。

 群馬・桐生が郷里の友は、「あの松居一代っていう人は、なんだってあんなに個人的なことを垂れ流しにするのかね」と言った。 珍しくワイドショーネタを振ってくるなと思いきや、「うちの旦那が、なんだ、これはって観てたんだよ」と。さらに「こういうのは男がひたすら謝っておけばいい話なのにさー」と締めくくった。さすが、名にし負うカカア天下の群馬。 すらっと大胆に解決法を告げる。

 

 高度成長期の頃、自然は搾取するものだった。 が、時代は変わり、自然と共存共栄を心がけなければ、人類が地球で存続できるか怪しいという懸念を人々は抱くようになった。 地元にお金を落とすためにダムを作ったり、コンクリートで川岸を固めるのは古くなった。 ダムを作らずとも自然エネルギーやフリーエネルギーがあるし、コンクリートよりも、直根性の潜在自然植生の木の繁茂する生態系を守った方が護岸に役立つ。ということを、手痛い出費と自然破壊から解を得た。

 

  同時に、男性と女性のあり方も変わった。

 ちょっと前まで、浮気は男の甲斐性。 男が外で遊ぼうと、「うちの大切な人、返してくださいね」とにっこり笑う妻は「見事!」とさえいわれた。 妻のプライドを踏みにじり、愛情を搾取しても許されたのだ。 ところが今はそれが様変わりしている最中。 相手の立場になって物を考えて、妻との共存共栄を図る時代となっている。

 多くの男にさほどの経済力が見込めないということもあるし、そもそも経済というのは外貨を獲得するだけなのか、という根本の問いが立っている。 根本への問い直しは、常識を揺らす。ともに夫婦の常識も一緒に揺れる。 私たちはその一端を、船越夫妻に見ているのかもしれない。

 不思議なもので松居さんが騒ぐほどに、船越氏の株は上がる。 NHKが船越氏を引き続き使いますというと、多くの男性がほっと胸をなでおろす。 ヒステリックな妻の言動に振り回されない職場がなければ、男はどこで生きろというのだ? というところか。 多くの男性陣が、明日は我が身、と船越氏を応援する。

 松居さんは、自分を飾っていない。自分の見映えなんてどうだっていい。捨て身の勝負だ。 彼女の捨て身は、船越氏へのラヴレター。そこまでするほどいい男なの?と船越氏を見直してしまう。バイアグラを使っていてもハゲていてもいいじゃん。 きっと、素敵なんだろうとさえ思えてくる。

 

 感情的になるな。というのは公の場での暗黙の了解である。しかし、人の感情は湧くものだ。 その感情を気づきもせず放っておけば腐ってしまう。 かといって好き勝手に噴出させていいわけはない。 感情は揺れ動き、一時として止まらない。 感情の清らな流れをいかにつくるか。 うるおいのある感情は心身を美しくする。

 

 感情を抑える時と、ほとばしらせる時と。 いかに緩急をつけるかが課題だ。

 

 松居さんは、今だ!とばかりに感情をほとばしらせている。  彼女ばかりの利益ではなく、彼女と同じように傷つく女性を癒すきっかけになるといい。 不倫にまつわる財産分与などの問題は、刑事ではなく民事だ。 男性が外で経済を獲得する、その土台を培った女性をどうみるか。NHKで番組を持てるような船越氏になるまでに、松居さんがどのように貢献したのか。 夫婦間の問題だからこそ男性側のモラル、倫理が問われる。

 男性だ、女性だ、といってはいるが、夫の不貞をぐっとこらえた世代の女性や、その世代の価値観をひきずっている人のなかには、松居さんの動きを軽蔑するむきがある。 自分が我慢してきたのだから、相手にも我慢させる。 その抑制は見えない堰となり、感情の表出を妨げる。

   YouTubeで船越氏の露悪をしたり、ボランティア活動をしたり。愛する人への思いを断ちきろうと彼女は必死だ。 その必死さをただみっともないと一蹴するなら、果たして自分はみっともないくらいに人を愛したことはあるか、と自問してはいかがだろう。

 

 船越氏の動向が楽しみだ。ほかの女性に生命線を求めるか、それとも切れかけたものを修復するか。

 前者はありきたりだ。 船越氏には是非後者を選んでほしい。 より深い愛を紡ぎながら、世間が「あの夫婦は難局を超えた」と腑に落せば、新たな夫婦像としておもしろがる人は多いだろう。 そちらの方が、企業活動のPRに貢献するはずだ。

 誰もが間違いを犯すし、みっともないことをする。いいではないか、だから私たちは生きているのだ。 大切なのは、間違いやみっともないことを指摘して誰かを貶めようとする一人に自分がならないこと。 そんな時間があるなら、自分や周囲への愛を深める時間に充てたい。